2023年02月06日

『大才子 小津久足』

菱岡憲司氏『大才子 小津久足』(中公選書、2023年1月)を読む。

随分前に読了し、ぜひここで紹介したいと思いながら、諸事あって今になった。
中途半端に書きたくないという気持ちもあったから。

この本の、そして菱岡氏の「凄み」を感じ取ったのは、やはり第一章である。
小津久足には、豪商、国学者・歌人、蔵書家、絵画コレクター、といった様々な顔がある。雅俗の会の研究会などを通じて、菱岡氏の久足研究をあらあら知っている私は、久足ならば経済・文学・思想・美術など様々な角度から切り込みが可能なので、ぜひ新書のようなサイズ感で、その魅力を広く一般に紹介してはどうかと慫慂した。もちろん、氏がそういった文章の才に長けていることも承知していたからである。

とはいえ、やはり経済の部分は「まえがき」などでさらっと触れる程度かと思っていた。ところが、である。氏は経済史、殊に久足の家業である干鰯商に関する専門書を何十冊も読み込み(参考文献を見よ)、一章分(約60頁)を割いて、久足がどのような生活基盤および生活信条のなかで、あのような文筆活動や蔵書収集を行っていたのかを闡明した。そしてこの章が、本書のボトムをしっかりと支えているのである。
これは普通の近世文学研究者ではなかなか真似できないところで、その徹底ぶりにはただ戦慄を覚えるしかない。これについては後日本人から、歴史学者と対等のレベルで論じたかったのだと聞いて、その「凄み」の淵源を知った。

さて久足の文学・思想史上の面白さは、「国学離れ」にあると思う。はじめ本居派の教えを受けながら、あるときその「国学」を否定し、京都の妙法院に集った人々(いわゆる妙法院サロン)の文事に憧れるようになる。小沢蘆庵、伴蒿蹊、上田秋成などである。しかし久足は、彼らを慕いつつも、彼らとはまた一線を画した独自の文芸観を持っている。そしてそこには、近代人顔負けの強烈な自我意識が見られる。
だが、ここが面白いところであるが、久足はそれを、近代人のような形では発現・解放させることはない。そこに彼の、商人としての生活基盤および生活信条の問題が関わってくるのである。第一章の「凄み」が、ここで効いてくる。

いろいろ書きたいこともあるが、とりあえず最後にひとつだけ。
本書で展開される論点は、中村幸彦・中野三敏両先生の雅俗論、板坂耀子先生の紀行研究、飯倉洋一氏の妙法院サロン研究、田中道雄先生の蝶夢研究など、九州大学と関わりある人たちの研究と多くの接点を持つ。私にとっては馴染み深い、それらの研究が次々に絡んでくるさまは、まことに嬉しいことであった。それと同時に、菱岡氏が久足に出会いそこに魅力を感じたのも、ある意味必然であったのかもしれない、などと考えつつ読んだ。
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2023年01月31日

第2回近世随筆研究会の記

1月29日(日)、東大駒場キャンパスにて標記研究会を開催した(zoom併用)。
第1回はコアメンバーだけのクローズドな研究会であったが、今回からは一般にも公開した。

直前に雅俗の会同人やTwitterでリマインドしたこともあってか、参加希望者はコアメンバーと合わせて80人弱にまでのぼった。
実際、全員が参加されたわけではないだろうし、途中参加・退出もあっただろうが、常時50人くらいが参加していたようだ。
有難いことである。

ただ今回の反省点として、私の時間設定が甘かったことが挙げられる。私自身、発表すると時間超過する「悪癖」があるうえに、他の発表者に持ち時間が確実に周知されていなかったようで、大幅な時間超過を招いてしまった。内容がたいへん充実していたのでよかったが、以後は気をつけたい。

ところで、「近世随筆」を議論の中心にすえた研究というのは、これまで行われていないと思われる。文学研究の側からだけではなく、思想史や歴史学の側から見た場合に、そこにどのような景色が見えてくるのか。それが本研究会のねらいだ。

では「近世随筆」とは何なのか。これはなかなか難しい問題だ。たとえば、筆者のオリジナルの文章ではなく、たんなる諸書からの抜粋録のようなものでも、後の人が「随筆」と名づけている場合がある。しかしここでは、そのような広義の「随筆」をも含めて考えていく。
さらに、詩話や歌話、日記、紀行、書簡集、雑史、人物伝などといった周辺領域も積極的に参照しつつ、個々の「近世随筆」の面白さや資料的意義がどこにあるか、あるいはこのような形態の文献が、近世の知識形成・浸透にどのような役割を果たしたのかといった問題を考える。

近世文学や思想史を研究している人ならば、誰しも心当たりの「近世随筆」をもっているはず。なぜなら「近世随筆」は、真面目な漢学から俗っぽい戯作まで、あらゆる分野にまたがって存在しているからである。
この研究会では、年に2回、基本的には福岡と東京で交互に研究会を開催する。オンライン参加も全然オッケー。ぜひ自分のとっておきの「近世随筆」ネタを披露していただきたいと思います。当方までご連絡ください。
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2022年12月25日

蝶夢全集 続

田中道雄他編『蝶夢全集 続』(和泉書院、2022年11月)が出た。
すでにひと月が経過しているので、「出た」というには速報性が薄いかもしれない。
Twitterで寸評はしたものの、きちんと書きたいという思いから、なかなかこちらには書けずにいた。
田中道雄氏の長編の解説を踏まえて、あらためて紹介する。

本書の特徴はなんといっても、477通という書簡の翻刻が収められていることである。
蝶夢は、「とかく文通に命のちぢまり申すべき旨、人も諫め申し候」(p857)と、友人から諫められるほどの「筆まめ」であった。とにかく一通一通が非常に長い。しかも何かの贈り物を別添で添えることも多い。懇切きわまりないのであるが、それゆえに、命を削って手紙を書いていたのである。

だが、ここに残された477通は、そのうちのほんの一部に過ぎないと、田中氏は言う。たしかに、全国の俳諧愛好家のべ2700名が参加したとされる『祖翁百回忌』(芭蕉百回忌記念句集)を刊行した蝶夢である。この大事業をなすために(あるいはその下地をつくるために)、どれだけの書簡のやりとりがあったことか。477通は、蝶夢が命をかけて取り組んだ活動の一片を伝えるに過ぎない。とはいえ、これだけの分量が残っているのは、近代以前においてはかなり珍しい。

田中氏の解説から得られる知見は多岐にわたるが、二つほど紹介しよう。
まず、蝶夢はどのようにして全国的な蕉風復興運動を展開していったのか。そこに、運送通信システムの発達との関連を指摘している。これは歴史学とのコラボがぜひ必要な問題だ。現代にたとえるなら、メールがなかった昭和時代と、SNSが発達した令和時代。人との出会い、情報伝達の確度と速度は、およそ異なるであろう。芭蕉が生きた江戸前期と、蝶夢が生きた江戸中期では、文芸活動を支える社会的インフラにおいて、それくらいの違いがあったのかもしれない。そのなかで、書肆がどのような役割を果たしているかという点も、本書の重要な問題提起となっている。蝶夢にとって書肆橘屋は、金銭的な支援をしてくれるだけではなく、おそらく情報流通を促進させるプロモーター的存在でもあったのだろう。

次に、平等の思想。蝶夢が作者の主体性(個性と言い換えてもよい)というものを、近代以前において明確に説いた、比較的早い時期のひとりであったことは、正篇にも述べられているが、ここではさらに、平等の思想という問題をとりあげている。蝶夢は、身分や財力と句の評価とを連動させるべきではないという考えの持ち主であった。権門勢家や富貴の人を俳書の中において特別扱いするのは「この道のすたれ」であり、「高貴と申すもののその家に生まれたるのみにて、更にこころざしには差別なきものにて候」と述べている(p851)。「俳諧は詩歌の奴僕にあらず」(p852)との発言も気になる。私の現在の関心事のひとつとして、身分制度と文学との関係というものがあるが、これらの蝶夢の発言には、その二つの関係を否定する考えが明らかに読み取れる。それは近代に入って、四民平等主義、平民文学運動において一層加速するのであるが、その下地は、こうして形成されていたのである。

蝶夢は、火災にあった飛騨高山の俳人に対して、「風雅は、かかる時の役に立ち申し候ものにて候」と書き送ったという(p855)。文学に何ができるのか。田中氏は、ここに蝶夢の俳諧の本質を認めているように思われる。

※引用文は、読みやすくするため原文の表記を一部改めた。
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2022年12月16日

第2回近世随筆研究会のお知らせ

標記研究会の日程が決まりました。
対面+オンラインです。
江戸時代の「随筆」を、文学・思想史・歴史の各方向から、広く横断的に議論しようという研究会です。
成果発表というよりは、書籍化のための一過程として、十分に「揉み込む」場にしたいと考えています。
どうぞお気軽にご参加ください。

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第2回 近世随筆研究会

■日時 2023年1月29日(日) 13:00~17:00

■場所 東京大学 駒場第1キャンパス 14号館605教室
https://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
 ※対面参加+オンライン(zoom)併用です。
 ※対面参加は先着8名とします。

■プログラム
川平敏文(九州大学)
「近世随筆という視角 ―室鳩巣を例に―」

吉田 宰(尾道市立大学)
「木村蒹葭堂と「随筆」 ―雑記類を中心に―」

陳 可冉(四川外国語大学)
「林家の随筆とその周辺」

■申込方法
 以下のフォームにご記入後、送信してください。
 期限:2023年1月6日(金)
https://forms.gle/gMLcFa5STBtzvwUC7


この研究会は、科研費・基盤研究(B)「「近世随筆」の領域横断的研究」(代表者:川平敏文)の研究活動の一環として開催されます。

 コアメンバー:
川平敏文(九州大学)
高山大毅(東京大学)
合山林太郎(慶應義塾大学)
天野聡一(九州産業大学)
山本嘉孝(国文学研究資料館)
吉田宰(尾道市立大学)
岩崎義則(九州大学)

(お問合せ)
 〒819-0395 福岡市西区元岡744 九州大学文学部 川平敏文
 Emai:kawahira◆lit.kyushu-u.ac.jp (◆を@に変えてください)
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2022年12月04日

芭蕉のあそび

深沢眞二氏『芭蕉のあそび』(岩波新書、2022年11月)が出た。

帯に、「芭蕉だって笑ってほしい、に違いない」とある。
本書は、特に芭蕉の若い頃の作品を、「しゃれ」「もじり」「なりきり」「なぞ」といった視角から分析し、そこに芭蕉がどのような滑稽を含ませていたかを再検討したもの。

われわれは基本的に、芭蕉の特に晩年の作品にみられる「さび」とか「かるみ」とかいった詩趣をもって、芭蕉の真骨頂と考えている。それは間違っていないが、しかし俳諧という文芸ジャンルは、もともと滑稽であることを第一義とする。とすれば、芭蕉の作品にもこの第一義はベースとしてあったはず。なのになんとなく、後代の人間は芭蕉を俳聖などといって神格化してしまい、その「おふざけ」をスルーしてしまっているのではないか、ということだ。「おふざけ」した側としては、スベったということになる。これは悲しい。

まだ序章~第二章を読んだだけだが、『便船集』『類船集』といった付合語辞典を駆使した解釈を示されているのは、かつて『連歌寄合書三種集成』(全2冊)という大著を一人で作り上げた、氏ならではの目の付けどころだと思った。たとえば、「斧(をの)」の付合に「小町」、「水鳥(みづとり)」の付合に「二月堂」があるのは、前者の場合「斧」と「小野」、後者の場合「水鳥」と「水取り」の掛詞(ダジャレ)が考えられているわけだ。そういう、付合語についての豊富な知識と鋭敏な感覚とが、これまでの的外れな解釈にすっきりとした正解を与えてくれる。爽快だ。

また面白かったのは、近世の発句は、初案、二案、三案…と、様々に改変されるが、それは単なる推敲ではなくて(つまり初案より三案のほうがより完成形に近いというわけでは必ずしもなくて)、さまざまなバージョンを示しているという理解である。たとえば、初案では源氏物語を典拠にした句であったものを、わずかに句の一部を変えることによって、二案では平家物語を典拠にしたものにしてみせて、句の雰囲気をがかりと変える。つまり、その句を与える相手だったり、その句を載せる作品集であったりによって、自由に作品をアレンジ(変奏)させているわけである。作品のテクストが固定されておらず、TPO(時・所・目的)によって、いつでもチョイチョイっと改変可能であるという認識は、飯倉洋一氏が考察されている上田秋成の歌文にも通じて面白い。

それにしても、本文にも書かれているが、深沢氏はダジャレが好きなのだと思う。そういう言語感覚をもっているからこそ、芭蕉のスベったダジャレを拾うことができたのだろう。もっとも、スベったというのは現代においてであり、当時の人はちゃんと理解できていたのであろうが。
posted by 閑山子 at 16:41| Comment(0) | 机辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする